2016年7月18日 (月)

政治における「重さ」と「軽さ」

■ご無沙汰です。更新が1年近くとまってましたね。まだ無事に元気にしております。

今回は先の参院選や東京都知事選を引き合いにあれこれ述べたいと思います。

■古代ギリシアの哲学者パルメニデスは善悪の基準をその重さと軽さに求めた。しかし、人の生涯においてはそれほどどちらの生き方が善い生き方かを判断するのは難しい。といった内容が私の好きな作家であるミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」の冒頭にありますね。

では、政治や政治家にとってはどうなのでしょうか。

■まずはじめに私の見解を述べると政治家や東京都知事には重い政治をしてもらいです。多少カネとの問題がグレーであっても、ビジョンのための政策を遂行し結果を残す。それを求めています。政治や選挙は税金もですが、私的なお金も思っている以上にかかります。政務活動費という悪法は見直さなければなりませんが、市区町村や知事レベルでもあれこれお金がかかります。
もちろん、だからといって公費を不適切に使ってよいと言ってるわけではありません。

それでも、まず、私たちも政治家の身になって考えることが大切だと思います。冠婚葬祭から会合など私費で支払っていて事務所や秘書も雇えない政治家もたくさんいます。

そういう普段メディアが報じない角度からみるというのも必要ですね。

日本の議員、東京なら東京都知事は経済大国や世界の大都市のトップです。それ相応の待遇があってしかるべきで、あえて言えば僕のような庶民と同じ待遇が良いと思えません。堂々とエコノミーでなくファーストクラスに乗ればいいのです。

日本や東京のプレゼンスと権威を世界に示すチャンスです。

それを捨てても良いというのなら話が別ですが。。

でもまあ、今回は節度ないのは事実ですが。

私の見解がマイノリティなのはわかってますが、出来ればみなさんも一度、政治家の立場になって考えて頂けると楽しいのかと。

次は政治に対して責任の「重さ」を感じる方になって頂きたいです。重さはそのあとに足跡という軌跡を残しますから。

さて、本ブログですが不定期更新ですが辞めませんよー。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

2015年9月15日 (火)

転載:日本のミリタリーシフトが意味するもの

はじめに

 日本の憲法解釈変更を受けて集団的自衛権が行使可能になった。従来までの後方支援に留まらず、原則的にも理論的にも新しい解釈により、外国や日本の領土・領海・領空を越えて共同で軍事オペレーションを実施することが可能になる。

報告内容

1.近隣諸国(中国・韓国)の懸念がある中、日本政府はより広範囲に自衛隊を展開しようとする意図がある。

 ・1997年の日米(防衛)ガイドライン策定以後、より日米関係の緊密さを強調している。
 ・アジア・太平洋地域の国々(オーストラリア・フィリピンなど)に共同防衛への門戸を開放し、東、南シナ海において不透明な軍拡を続ける中国への対策でもある。
 ・いわゆる「普通の国」として、リージョナブル、グローバルな安全保障への貢献でもある。

2.戦略的なリスク
 ・政権与党(自民党と公明党)の見解が一致していない。
 ・世論調査をみる限り、国民の反対も根強い。
 ・韓国や中国との更なる関係悪化。
 ・曖昧な環境での変化は、より上記のリスクを増大させるだけではないか。

論点とディスカッション

1.国際公約にすることにより外堀を埋めた上での「閣議決定」というアプローチは適切だったか?
 ・無条件で是とはしないが、そうしたやり方でなければ前に進まなかった。
 →原則的には国内でコンセンサスを形成してからおこなうもの。
 →手順としては逆だが、なかなか通りにくいものを無理矢理通すとなると、横やりが入ってしまう。そのため外圧を利用したのではないか。
 ・NATOやアメリカなどからコンセンサスに関しての不備等の懸念はあったか?
 ・現政権が外圧を利用しているというのは、既に織り込み済みだったのか?
 →コンセンサスの件は、ほとんど聞かなかった。
 ・年末の日米ガイドラインまでに、是が非でも通す必要があったと考えたのではないか。

2.解釈変更の是非
 ・解釈変更で問題なかったのではないか。具体的な事柄はこれから立法措置で詰めていくことになる。
 →憲法改正をすればよかった。これでは憲法の意味があるとはいえない。
 →改憲となれば9条等にメスを入れることになる。これは多大な時間を要する。
 →改憲の前段階としては良かったのではないか。
 ・外圧の利用も適切ではなく、時の政権によって恣意的に進められていくのは不健全ではないか。
 →硬直的で、改憲のハードルが高かったのも一因ではないか。
 →所定の手続きを無視したことが慣例化していく懸念がある。
 →集団的自衛権は前回の総選挙で公約となっていた。
 ・解釈の変更に関してだが、仮に左派が政権を取ったときに今回の手法を悪用しないか。政権は法制局の人事を変更している。
 →内閣法制局が一定の正当性を付与している。左派政権であっても、法制局が根拠を与えれば受け入れざる得ない。

3.なぜ今解釈変更を行う必要があるのか?また、国内外の状況はそれに適していたか
 ・例えば、日中韓の関係が良好であった場合、変更は必要だったか?さらに変更するにしても別のタイミングもあったのでは。
 →たとえ関係が良好でも、変更に対しては懸念がでる。ベストなタイミングというのを考えても仕方ない。
 ・これから米国は徐々に引いていく事になる。引いていくからやるのか。
 →米国の事情にかかわらず必要だったのではないか。
 ・平時こそ備えるべき。より深刻な緊張状態に陥ってから行えば、敵対行為と見なされてしまう。平時に憲法改正をすることによって、周辺諸国への抑止力となる側面もあるのではないか。
 →同意。有事になってからでは遅い。
 →総合的に日本にとってメリットがあるかどうかで判断。個人的にはリスクよりメリットがあると考える。シーレーンやエネルギー関連に、より強くコミットできる。


4.そもそも政治ではなく司法の怠慢ではなかったのか
 ・司法は政治的なものである事を理由にして積極的な関与を避けてきたが、三権分立として一定の指針は出すべきであった。
 ・最近ようやく司法判断をするようになってきたが、9条の判断は避けてきた側面もある。これは正解だったといえるか。
 →日本として国民として迫られている状況ではなかった。情勢が変わってきたからせざるを得なくなったのではないか。

5.日本に集団的自衛権行使可能が必要か
 ・個別的自衛権のみでは駄目だったか。また日本の安全保障上どうしても必要といえるのか。
 →安全保障上のオプションを増やした意義は大きいのではないか。
 ・具体的には中国が念頭にあるのか?
 →目下のところは中国である。ただ、日米同盟を発展させていくのであれば避けられない。中国の存在が時計を速めたにせよ、いずれは踏み出すことになったと考える。
 →中国の文脈もあるが、いずれにせよ日米同盟をあるべき姿、より実効的なものにするにあたってどこかでやらなくてはならなかった。現時点でも問題なかったのではないか。

6.大局的にみて今後の日本の外交・安全保障はどう変わるのか
 ・自国と密接に関係のある国、同盟国やそれに準ずる共同文書を交わしている国が攻撃を受けた場合にともに反撃する権利とある。国際法上は上記の国が重大な武力攻撃を受けている国とあり、日本とは違う。また米国とも違う。重大な武力攻撃を受けたとした場合、宣言が必要になるが一体なにが重大な武力攻撃なのか?国際法上も議論がある。
 ・日本から軍事的な貢献を引き出すにしても、何らかの条件が必要となる。強制的に巻き込まれたと国民が考えれば関係悪化につながる。
 →アメリカはどのようなケースでも要請を出してくる。日本としての政策判断・意思決定が必要になる。
 →国家のエゴではあるが、ここまではできる・できないというのを明確にアピールする必要がある。

7.今後この日本はどういう方向を進むべきか
 ・特別野心的な目標があるわけでもなく、日本の国土と国民の安全を守るのに注力すべきではないか。
 ・アジアの安全保障のリーダー云々というのは行きすぎではないか。
 ・なんらかの貢献をするとしても、実際は海がメインとなると思われるので、各国との連携が重要になるのではないか。
 ・日本は現状維持を目指しているため、大きな変化は期待できない。財政との調整をはかりながら防衛費を増額等はできるが、基本的に東南アジア等をエンパワーメントすることになるのではないか。
 ・日本に今後求められるのは「先回りをして貢献する外交」。
 →proactiveであれというのはそのとおりで、自国で国益や国際関係を踏まえて主体的に判断すべき。日本がリードすべきかといえば、アジア太平洋にかんしてはcontributorではあるべきだが、必ずしも前面にでることは必要ない。
 ・日露まで行くべきか。
 →米ロ関係が険悪なため、日ロはすぐには難しい。関係改善が必要。
 →中央アジアへ楔を打ち込むのは対中の面で一定の意味をもちえるが、できてはいない。

総括

 解釈変更に関する手続きをみるかぎり、民主主義の危機といっていい。それでも集団的自衛権の行使を可能にしたのは、変化する戦略環境に対するリアクション(対中・軍事における米国の予算的な制限)と、日米同盟を片務的なものから双務的な形にする原則的要請でもあった。今後の日本は、好むと好まざると「普通」の国として歩むことになる。ただしこれは、相応の負担、国家のエゴ、能力の限界、理想と現実の乖離等に向き合う事でもある。

2015年9月13日 (日)

安部総理の安保法案関連に関する雑感

◾️随分とご無沙汰でした。なかなかブログを書こうという体力・気力がないままでしたが、今後は定期的に書いていきたく思っております。
今回は、現国会で審議されている集団的自衛権をはじめとする安保法案に関して、思うところを雑感程度に書きます。1、安保法案について、2、それを取り巻く状況について、大きく二つのテーマで書いていきますね。

◾️安保法案について
まず、安部総理が改憲派であるということは周知のことでしょう。そのステップとして、恐らく米国が前面展開をやめ、国際社会において下がる軍事戦略をとりはじめました。いわゆる米軍再編ですね。

このことは、他国のパワーが上昇し、米国のパワーが落ちたという理由もありますが、米国外交史をさかのぼれば、ブッシュ・ジュニア政権時に大きく振れた振り子が今、戻ってきており内向き化しております。
これをモンロー主義などと言ったりします。すでに、この議論は、中国台頭とセットで多極化や無極化と内容で2005年あたりには研究者間では議論されておりました。

当然のことながら、米国が背負っていた役割の一部を日本は安全保障のために補わなければなりません。
集団的自衛権に関しては、冷戦期に乱発された経緯から、国際法でもかなり発動要件は厳格になっております。(加えて、人権・人道問題に対する介入に関しては比較的、緩い国際司法裁判所の判決がでております)

恐らく、大方の国民が納得できないのは、集団的自衛権やその他の安保法案に対する直接的な反対というよりも、そこに至るまでのプロセスに疑念があるのではないでしょうか。

安全保障は空気のようなものですから、なかなか今の日本において、普段の日常生活に直結しません。さらに、法案の解釈自体も難しく、問われるのは法案以上にそのプロセスだと思います。

私がある海外のジャーナリストと話したところ、彼が言うには、安保法案は難しい。そのことばかりの説明に力を入れるよりも、何故、それが必要か、この国は今後どういう方向に向かうのかといったビジョンを示すべきだと。私も全く同感です。

米国の要請があったとしても、権利や法案は日本のものであり、日本のためでなければなりません。
それを海外で先に公約してきて、国内では煙にまくような説明ではやはり納得がいかないと思われる方も多いと思います。また国会で発言する有識者(学者)に関しても、国際法の学者がまったく呼ばれていないのも個人的には大きな疑問です。

法案の内容以上に法的安定性やそれにまつわる制度なりが議論のテーブルにあがらない国会審議も不思議です。例えば、軍法会議(裁判所)の設置や自衛隊法の改正、ROEや諸外国でも大きな問題になっている、PTSDに対するケアなどがあるはずです。

このような様々な法的・制度的枠組みもパッケージでなければ、軍事後進国もいいところです。これから新法を制定するなら、諸外国の制度をもっと勉強して世界でもっとも充実したパッケージを作れるはずです。

現政権や国会はそのあたりを怠っていると思わずにはいられません。

◾️周囲の状況

賛成・反対があるのは自然なことです。日本社会が負うべきリスクもありますし、いろんあ場所でいろんな議論があることが望ましいですよね。デモも良いと思います。ただ、戦争法案と扇動したり、シールズのような(聞いた時は米国海軍特殊部隊かと思いましたが。。。)様々な他の不満なり、満足感をみたすためだけの活動には首をかしげてしまいます。

こちらの記事はコンパクトにまとまっていると思うので引用・紹介しておきます。

Japan’s Security Evolution, Not Revolution

少し引用します。

Japan’s recent legislation is indeed historic—but not as a dramatic abandonment of a previous strategy. It is the most recent step in a long evolution for a highly responsible and peaceful country that today faces a growing threat. And as such it represents more continuity than change in Japan’s national security policy.

要するに、かなり昨今の法制化はヒストリックに思えるが、さまざまな脅威やリスクが増大している国際社会においては、長期的発展であると。

やはり、日本の今後進む道なりビジョンを示して頂きたいなあと言うのが私の願望ですかね。

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